第二十七回「秘密の花園」 バーネット:著 土屋京子:訳 (光文社古典新訳文庫)
今回の参加者:私、姉、シュガさん
植物を育てることって大変です。
小さい頃、おばあちゃんに買ってもらったトマトの鉢植えをベランダで一生懸命育てていました。
ある日その鉢植えの草がたくさんの芋虫に食べつくされ、ダメになりました。
おばあちゃんと一緒に泣きながら芋虫を一匹一匹指で潰していった記憶があります。
私「という小さい頃の思い出を読みながら思いだしました」
シュガさん「しらんがな」
というわけで今回はバーネットの「秘密の花園」です。
インドで両親を亡くしたメアリは、英国ヨークシャーの叔父に引き取られます。かわいそうな境遇なのですが、性格が悪く人を見下した態度をとり、何事にも無感動なメアリを周りの大人たちは煙たがります。しかしそんな中でメアリが出会う、ヨークシャーの自然や動物、そして人々に少しずつ心が満たされていき、メアリは色々な感情を獲得していきます。そしてその途中、枯れ果てた「秘密の庭」を見つけ、病弱な従兄弟コリンと、動物としゃべれる少年ディコンと一緒にその庭を再生させていくのです。
私「すっごい感動する話で面白かったです! 庭の再生とともに、メアリとコリンの心も成長していく姿が素敵でした! 庭が少し綺麗になるたびに、子ども達が心の底から感動する描写は読んでて泣けます!」
シュガさん「まあ、普通に面白かったよね。嫌なキャラクターが良いキャラクターになっていく過程が良かったよね。子どもたちが自分の力で成長していく話だなって感じたよ。子ども本来のピュアさがいかんなく発揮されている感じ」
私「そうですか? 私は要所要所でしっかりと大人が手助けをしてくれているように感じました。やっぱり子供の成長には大人の見守る姿勢が必要だと感じましたよ」
この話に出てくる大人の方がまた魅力的なのです。特にディコンのお母さんであるスーザンは素敵な女性で、子どもとの距離の取り方がとても上手な方なのです。
作中ではあまり干渉せず、だからといって無視にはならない絶妙な付き合い方をしています。
「この世界は一個のオレンジみたいな形をしとる(中略)まちがってもオレンジ一個全部自分のもんだなんて思うでないよ。そんな考えしとると、痛い目してまちがいを思い知ることになるよ、って。わたしゃ、子供たちにそう言ってやったんだ。子供は子供どうしでもまれるうちに、オレンジ丸々一個を皮から何からみんなわがものにしようとしても詮ないい、ってことがわかるようになるんだよ。そんなことをたくらんだ日にゃ、タネさえもらえんことになる。しかも、タネは苦くて食べられんからね」
P313
メアリとコリンの周囲の人たちは、子どもたちのわがままを全部聞きながら過保護に育ててきましたが、スーザンは自然の中で子供同士でたくさん遊ばせて育てることが大事だと言い続けます。
シュガさん「そうかなぁ。メアリもコリンも結局自分の中にある子供特有の好奇心で成長したんじゃないかな」
姉「その好奇心を刺激したのは、見守られているという安心感な気がするんだよね。まあ大人だけではないけれども、メアリは世話係のマーサ、庭師のジェフや鳥のコマドリに見守られることで好奇心を伸ばしていったし、コリンもメアリに好意を持たれることで少しずつ自分の成長をしていったから。やっぱり好意とかで存在を無条件に認められていることが、人間の成長に繋がるんじゃないかな」
私「そう考えると『秘密の庭』も、もともとはコリンの死んだお母さんが作った庭ですよね。その中で大きな成長ができた子供たちは、コリンのお母さんに見守られていたのかもしれないですよね」
コリンのお母さんはコリンを産んだ直後に死んでしまいました。その悲しみから、コリンのお父さんであるクレイヴン氏は妻に似ているコリンを「妻を思いだすから」という理由で幽閉し、「秘密の庭」を封鎖してしまいました。
しかし子どもたちが大人から見守られる環境のなかで、「秘密の庭」の入口を発見し、庭と共に成長する姿を見ることでクレイヴン氏も救われることになります。
不快や落胆を誘うような思考が頭の中にはいりこんでも、それに流されず、明るく敢然として勇気に満ちた思考を奮い立たせて有害な思考を押し返すことのできる人の身には、もっと驚くようなことがいくらでも起きうるものだ。相反する思考は共存しえないのだから。
―バラを愛でる場所に アザミは生えぬ―
P450
私「もう本当にピュアな成長物語で、こういうフィクションの世界を信じて生きていきたいです!」
シュガさん「いや~、私が若い頃に出会ったらこの話はご都合主義的過ぎて嫌いになってたかもしれないな」
姉「なんかひねくれた話になりそうだよね。誰か死にそう」
私「(´・ω・`)」
周りの声に負けず、私は「秘密の花園」の世界観を広めていきたいです!!!