しま子の読書会ブログ

読書会をするブログです。たまに私が見た本や映画の紹介もしたいです。

映画鑑賞③「ソラリスの著者」

 100分で名著の「ソラリス」で興味を持ったスタニスワフ・レム。まだしっかりと作品を読んでいなかったのですが、東京都写真美術館で行われているポーランド映画祭

のアンコール作品で「ソラリスの著者」という映画がやっているというので、見に行くことにしました。

 冒頭、解説動画があり「この映画を入り口にレムの作品を楽しんでくれたら幸いです」というニュアンスの言葉で締めくくられていたので、安心しながら映画を見始めることが出来ました。

 

(映画の内容が知りたくない人はこの先見ないでください!)

 

 

 そんなのんびりした気分で見られる映画ではなかったです。何か常に後ろめたさを感じる映画でした。

 レムの人生を追いながら、彼自身のインタビューや周辺の人へのインタビューを映し、また彼の著作から生まれた映像作品の動画が間に挟まれる構成になっています。

 レムの生い立ちは100分で名著を読んで知りました。世界大戦中のポーランドという、不安定な場所で育った彼の生い立ちは想像を絶するものです。

 

「人間はこの世に生まれてくると、すべては今のままで、これから先も未来永劫にわたってそのままだろう、なんて思うものです。ところが、実際には、そうじゃない。たとえば私は一九二一年生まれですから、戦前のポーランドで二〇年暮らしました。それからまずソ連赤軍がやってきて、それからドイツ軍、そしてまたもやソ連がやってきて、われわれをリヴォフから追い出し、私は『引き揚げ者』としてここ、クラクフに送られてきたんです。(中略)そうしてあらゆる物は移ろいやすく、不確かだと思い知らされる。それは地震のときに足下の地面が揺れるなんてものではなく、社会体制から人間関係まで、もう何もかもあ崩れ、すべての価値が崩壊してしまう。これこそまさにわれわれの二〇世紀の本質ですよ。」(「新潮」一九九六年二月号に掲載されたインタビュー「レムが世界を見れば」より)

 

 ドキュメンタリーの中で、周辺の人々はレムがこの経験を作品に落とし込んだという話をしていました。

 その作品の映像化したものが流れるたびに、うっとなります。一人称視点のカメラで戦争当時の惨状を描く映像。ドキュメンタリーの中にその映像が混ざることで、現実とフィクションの境目がなくなります。事実、現実で起こったことなのです。

ただ、楽しいインタビューシーンもたくさんあります。レム自身が語った、クラクフに移住した時に、医学系のコネクションがなく、お金を手に入れるために詩を寄稿し始めたという話は印象的でした。また彼がディックの「ユービック」を誉めているシーンも好きです。

 

 でも最後に何も考えられなくなる映像が映し出されます。9.11のテロ当時の映像、ビルから落ちていく人にズームアップし、下へ下へ追っていく。

 私たちは9.11を言葉では語ります。悲惨だった、大きな出来事だった。でもあの映像を見た時に、何も語れなくなる。出来事じゃなくて、自分と同じである人に起きた現実

 

 レムの経験を個人のものとして捉える仕掛けがたくさんあるドキュメンタリー映画。晩年社会情勢に対してネガティブになっていくレム。この世の中に子どもを産み落とすことに非常に懐疑的だったレムです。これから生きていく人が果たして、産まれるにあたいする幸せな世の中になるのだろうか。

 安全な場所など、どこにもない。レムはそう言います。私は9.11の映像を見てその通りだと思います。

 落ち込みながら、いろいろ考えなら映画館を出ます。そんな中でふと思ったのが、私は色々な人の優しさに生かされているのではないかということです。

 もしソラリスを読んで多様な他者性について考える人がたくさん増えたら、私はレムに生かされています。

 それに多くの人が他者に優しく接することで人を好きなれば、人である私は生かされています。

 どこか知らない誰かの他者への優しさのおかげで私がここにいられるのではと思いながら帰りました。