しま子の読書会ブログ

読書会をするブログです。たまに私が見た本や映画の紹介もしたいです。

第三十回「プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか」 メアリアン・ウルフ:著 小松 淳子:訳(インターシフト)

今回の参加者;私、姉、シュガさん

 

 いつも小説ばかりにお世話になっている私にとって文字を読むことは当たり前の行為です。そしてここで文字を書くことで、読んでもらえる(少なくとも姉とシュガさんには!)ことも当たり前のように感じています。

 

 でも、書物の良いところは「当たり前」の感覚をいつでもぶち壊してくれるところです。「プルーストイカ」での体験は自分の考えを大きく変えてくれるものでした。「はじめに」で作者のメアリアン・ウルフはこう言います。

 

「本書がきっかけとなって、あなたが長年当たり前と思ってきたかもしれないこと―たとえば、子どもが読み方を覚えるのはごく自然なことというような見方を考え直していただければと願っている。読むという行為は自然なことではない。」

 

 

 

 「当たり前」の感覚をぶち壊されたと実感したのは、シュガさんも同じだったようです。

 

シュガさん「人間には読む能力はもともとないってのは衝撃だったよね。文字そもそもに言語はないはずだから、音素をメタ化して文字を読む脳は本当にすごいなと。その文字を使って物語を読んで、さらにメタ化するんだから人間って本当にすごいよね」

 

 正直私はシュガさんの言っていることにハテナマークでしたが、本書を読んで文字を読むことの複雑さに驚きました。私たちは読字学習をする中で、脳が新しい回路を形成するのです。そしてこの回路を形成することを筆者は「奇跡の物語」と称します。それほど難しいことなのです。

 

姉「言語によって使っている脳の場所が違うっていつのもすごいよね。それだったら本書に出てきた読字障害であるディスレクシアという人たちもたくさんいることが素直に受け取れるよね」

 

 読むという行為が難しいディスレクシアの人々に対する風当たりは世間では厳しいです。本書でも引用されるレーシング・ドライバーであるジャッキー・スチュアートの言葉は印象深いです。

 

ディスレクシアであるとはどんな気持ちがするものか、皆さんには決してご理解いただけないでしょう。この分野でどれだけ長く研究を続けておられようと、ディスレクシアのお子さんをお持ちだろうと、子ども時代を通して屈辱感に耐え、毎日、お前は何をやっても成功しないと言われ続けて暮らすのがどんな気持ちか、おわかりになるはずがありません。」

 

 本書を読んでいると、読字が出来ることが当たり前ではないこと、またディスレクシアでも個別に対応し、順を追って学習を進めれば十分対応できることがわかります。しかし何も考えずに読字学習をしてきた私たちは、彼らに「頭が悪い」というレッテルを貼ってしまうのです。それが子どもの可能性をつぶし、読字障害から学習障害、そして落ちこぼれた感覚から非行に走ってしまう危険性を著者は指摘します。

 

 でも私たちの生活を支えている人たちにディスレクシアは多いのです。エジソンダ・ヴィンチアインシュタイン、みんなディスレクシアです。彼らは通常、読字に使う脳と違う回路を使うことで色々な能力を開花させています。だからこそ私たちはディスレクシアに対する考え方を知らなければいけないと思うのです。

 

 そして現代、その読字の回路も変化していくのではないかと著者は指摘します。デジタルの世界に没頭していく私たちは、文字文化からより視覚的な文化へ移行していくのではないか。それによって起こりうる懸念を表明しているのですが、実はその懸念が二千年以上も前のソクラテスと同じ懸念だというのです。

 

 ソクラテスの時代、口承文化が文字文化に変わりつつありました。しかしソクラテスは最後まで文字文化に懐疑的でした。理由は三つ「書き言葉は柔軟性に欠ける」「記憶を破壊する」「知識を使いこなす能力を失わせる」です。

 

私「確かにしっくりきますね。本に書いてあることを信じ切ってしまうことは柔軟性が欠けているし、記憶も本に頼りきってしまいますし、その知識を使いこなしているわけでもないですしね」

 

シュガさん「でもプラトンソクラテスの考えを文字に残した。それを現在の私たちが享受できているのはすごいことじゃない? だからこうやって読書会を開くことは良いことだと思うよ。みんなの知識を掘り下げていくことが出来てると思う」

 

姉「だからデジタルも使いようだよね。映画やアニメの媒体でもみっぱなしではなくて、何かみんなで井戸端会議のように話せたら、きっと脳は深く考えてくれると思う。ただやっぱり今は調べたいことがあったらすぐにネットを開いてしまうし、あまり考える機会そもそもが減っているかもしれないよね」

 

 著者はこう言います。

 

「指導なくして与えられる情報は知識を得たという錯覚につながり、そのせいで、本当の知識を得るための、時間がかかって厄介な批判的思考のプロセスが削られてしまうことになるのではないか? 検索エンジンのおかげで、コンマ何秒の早業で情報が得られるうえに、その量も半端ではないとなると、複雑な概念や著者の内的思考のプロセス、自分自身の意識に対する理解を深めてくれるとは言え、退屈な熟考のプロセスに、狂いが生じてくるのではないか?」

 

私「・・・読書会! 死ぬまで続けていきましょうね!」

 

シュガさん「また十年後に罪と罰読まなきゃだな」

 

私「それはいやです」

 

姉「その十年後にまた白鯨だね」

 

私「(´・ω・`)」

 

 本当の読字を得るための私たちの旅はまだ始まったばかりです!!!

 

プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?