第三十二回「ナナ」 エミール・ゾラ:著 川口篤・古賀照一:訳
もう三月になってしまいました。
それもこれも毎年年末に行われる、「読まなきゃいけない気がするけど、きっと読むのはおっくうな本をくじ引きで決めて読もう」企画のせいなのです。
今年は姉がくじに入れたゾラの「ナナ」。
ゾラかぁ・・・
受験期に覚えたゾラと「居酒屋」。日本に自然主義の影響を与えた人ですよね。
何か自然主義という言葉に対してあまりイメージがないんですよね。読むと面白いんですけど、何かこう内に内に入っていく感じで疲れるというか。
と思って読みはじめた「ナナ」。
予想通り毎日寝る前に読むと、2Pでぐっすり安眠することができました!
気づくと2ヶ月あった猶予期間が
残り2日!残り600P!
その日から私はずっと立ちながら読むことになりました。眠さとの戦いです。
あまりにも眠すぎて寒い街を本を読みながら歩くというアクロバティックな方法をとったりもしました。
しかしそのまま読んでいくとだんだんと面白く感じるようになって……
あれ? 思っていた自然主義と違う。
姉「生きづらさを描いている点では、日本と一緒な気がするんだけど、海外の自然主義は社会に開かれている感じがするよね。社会を糾弾しているというような」
パリの労働者街に生まれた主人公のナナ。
彼女は美貌を武器に高級娼婦として男性たちを虜にしていきます。そうすることで社会に対する復讐を成し遂げているように見えるのです。
例えば、女性が虐げられている描写がいたるところで見られます。ボルドナヴという男性のキャラクターは飲みの席で食事中に自分の汚れた口を女性に拭かせてこう言い放ちます。
「――そう来なくちゃいかん。それでこそまともな女というもんだ。こういうことをするためにこそ女はつくられてるんだからな」
このような態度をとる男たちに対して、美の力で男たちから金を巻き上げていくナナは金にがめつい嫌な女ではなく、ヒーローのように見えるのです。
姉「職業格差や男尊女卑がある社会で周囲の男を手玉にとって不幸にしていく姿は痛快でもあるよね」
私「特にミュファ伯爵が手玉に取られるところは、可哀そうでもあり滑稽さもありますよね」
厳格なカトリックで不倫は罪だと考えていたミュファ伯爵でしたが、ナナに出会いその美貌にやられてしまいます。
ミュファの眼には涙が溢れた。彼は手を合わせた。
――一緒に寝ておくれ。(345-346P)
しかし結果的に周りが不幸になるにつれて自分自身も不幸になっていくナナ。
姉「そこはナナの純粋さのせいだと思うんだよね。意図して男たちを不幸にしようとしているわけではない。感情に流されるし、周りの人に寄り添おうとする面もある。私なんかはナナはもっと身勝手だったら良かったのにって思っちゃう」
シュガさん「でもナナの行動が自らの不幸を招いている気がするんだよね。だからナナが悪い面もあるかな」
私「えー! 私はそうは思いません! たしかに行動が不幸を招いているのは確かですが、ナナ自身が悪いとは思えないんですよね」
ナナの行動の根本にあるのは格差や差別を良しとする社会に対しての反抗だと思います。そう考えると悪いのはその態度を醸成した社会なのではないかと私は思うのです。
「滅亡と死を作る彼女の事業は完成されたのだ。場末街の溝泥から飛び立った蠅は、社会を腐敗させる黴菌を運び、ただ男たちの肩に止まるだけで彼らを毒したのである。それは良いことであった。正しいことであった。彼女は自分が属する階級、赤貧洗うがごとき人々や、社会から見棄てられた人々のために復讐したのだ。(683P)」
蠅についていた黴菌は社会が作ったものです。誰が彼女を責められるでしょうか。
私「でもこの小説からでてくる社会的な問題って今も通じるものがあるというか、読み終わったときに、今とみんなが困っている問題は変わらないなぁって思ったのが最初の感想です」
姉「格差や搾取の方法や社会的な構造は変わってなくて、悩みが普遍的な気がするんだよね」
シュガさん「ミュファが最後にナナと決別してキリスト教徒として帰っていくところも何か象徴的な感じがして私は印象深かったな。こういう問題を乗り越えるための宗教という気がして」
やはり、さすが「読まなきゃいけない気がするけど、読むのがおっくうな本」です。普遍的でも今でも通じる問題を深められる、そして何より読んでいて(後半から)面白い小説でした。
姉「前半の劇場のシーンや酒池肉林のようなパーティーシーンも面白かったじゃん」
私「と、登場人物が多すぎるんです! それに名前聞いても男か女かわからんし!」
シュガさん「ちゃんとメモして、頑張って深く読みなさい」
私「次から頑張りま~す(´_ゝ`)」
姉はダメだこいつって顔してこちらを見てたような気がします。