第二十四回 「すべてがFになる」 森 博嗣:著 (講談社文庫)
「人生は孤独であることだ」
とヘルマン・ヘッセは言いました。
死ぬまで孤独です。特に死ぬ瞬間は孤独の頂点ではないでしょうか。
そんなことを考えさせられたのが、今回の課題図書。「すべてがFになる」でした。
孤島のハイテク研究所で、少女時代から完全に隔離された生活を送る天才工学博士・真賀田四季。彼女の部屋からウエディング・ドレスをまとい両手両足を切断された死体が現れた。
もう聞くからに怖いです。しかしこの謎に挑む教授の犀川創平とその学生の西之園萌絵のキャラがとても愛らしくて、その重い謎も読み進めていくことができます。
シュガさん「キャラが本当に魅力的。西之園さんに振り回される犀川先生が本当に良い味が出てる。」
姉「私も犀川先生好きなんだよね。なんかシニシズム的な所があるんだけど、西之園さんが絡むところで少し情が見えたりするのが良いよね」
ここからはネタバレになるので、読む予定の人は読まないでください!
そんな二人のコンビがたどり着く、真相はあまりにも残酷で難解でした。
ある出来事があって少女時代から孤島のハイテク研究所で完全に隔離された生活を送っていた真賀田四季。しかし実はその監禁された時に四季は妊娠していたのです。それも相手は四季の叔父であり、孤島の研究所の所長である新藤でした。
ここからが難解なのですが、妊娠に気づいた四季は、新藤に協力を仰ぎ、誰にも知られずに子どもを育てていきます。そして自分の子どもが成長した時、この隔離生活から子どもと自分を自由にするために、
自分の子どもに自分を殺させる
計画を立てるのです。自分が衝撃的な死を演出している間に、子どもは島から脱出する計画です。
私「これが本当に分からない。自分が殺されることによって自由になるってどういうことなの」
後に四季は語ります。殺されることは自由のイニシエーションだと。
「他人の干渉によって死ぬというのは、自分の意志ではなく生まれたものの、本能的な欲求ではないでしょうか?」(四季の台詞)
私「分からない! このあと犀川先生が『理屈は分かりますが』って返事してるけど、私には全く分からない!」
姉「生きるって死ぬことへの道のりじゃん? その最終地点は決まっていて、常にみんなは死へ向かって行くよね。そんな決まったレールの途中で他者からの干渉によって、その道のりから解放されるというか」
私「????」
シュガさん「人間は生まれた瞬間に死が決まっている時点で自由ではないんだよね。最後に一人で意識を手離す死は孤独なんだけど、その道のりの途中で他人に干渉されることで自分はその孤独な死から解放される感じ?」
私「(´・ω・`)????」
説明を聞いててもなかなか納得ができませんが、とにかく他者に殺さることを強く望んでいた四季。その準備もばっちりでした。
しかし一つだけ誤算がありました。自分の子どもが読者の私と同じように、ただの凡人だったのです。
親殺しができない四季の子ども。計画の日は迫ります。そして四季が下した決断が、子を殺して自分が脱出するというものです。
そして四季は当初の計画を変更し、自分が子どもを殺し、自分は脱出することにしたのです。
私「これがよくわからないんです。自分が自由になるために、自分が死ぬってのは百歩譲って分かります。でも何で子どもを殺さなきゃいけないのでしょうか?」
姉「彼女にとって生きることってエラーなんだよね。例えば四季さんの考え方ってこんな感じで」
「死を恐れている人はいません。死にいたる生を恐れているのよ」四季は言う。「苦しまないで死ねるのなら、誰も死を恐れないでしょう?」
姉「だから子どもを殺したことは彼女の論理で言えば、やさしさなんだよね。これから先、生きていく恐怖を抱えながら死の孤独に向かって行く。それならばいま私に殺された方が幸せなんじゃないかって」
シュガさん「人に殺されることで、死への孤独を乗り越えるってことかな」
私「絶対に理解できない……。そもそも生きるのが私たちの本能のはずですよね」
姉「だから本能で考えてないんだよね。それに四季はこんなことも言ってて」
「そもそも、生きていることの方が異常なのです」四季は微笑んだ。「死んでいることが本来で、生きているというのは、そうですね……、機械が故障しているような状態。生命なんてバグですものね」
姉「このバグ、生によって与えられる死の恐怖や孤独への論理的な解が他殺だったんじゃない?」
私「そ、そんなばかな!」
姉「いや、しらんけど」
私「(´・ω・`)」
トリックそのものには驚かされて、とても楽しいミステリーとして読めました。しかしその動機が本当に難解なのです。けど私たちはある一つのシンプルな感想にたどり着いたのです。
結論:妊娠させた叔父の所長が全部悪い