第二十五回 「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」 奥野 克巳:著 (亜紀書房)
今回の参加者:私、姉、シュガさん
あけましておめでとうございます!
昨年度はなかなか忙しくて更新できなかったのですが!
今年は頑張りたいです!(毎年同じことを言ってるようなきがします)
ありがとうとごめんなさい。
道徳の授業で一番最初に教えられる精神かもしれません。
良いことをされたら「ありがとう」。悪いことをしてしまったら「ごめんなさい」。
この二言が言えないだけでダメな人間のレッテルを張られたりもします。
そんな『「ありがとう」も「ごめんなさい」もいらない』という言葉に惹かれて今回の課題図書にしました。
シュガさん「今回は本当に面白かったよ!」
姉「ね。いろいろと考えることがあってよかったよね」
久しぶりの全員好感触で今回の読書会は始まりました。(*´ω`)
本書はボルネオ島の狩猟採集民族「プナン」のもとでフィールドワークを行った奥野さんが日本の価値観とニーチェの哲学を比較しながら人間の生き方についてもう一度捉え直す内容になっています。
シュガさん「私はプナンの人の死の考え方が大好きだったな」
私たち日本人は亡くなった人に戒名をつけ、法事を行い死を悼むことを大切にします。
プナンは真逆で一刻も早く亡くなった人の痕跡を無くそうとします。
その顕著な例がデス・ネームです。
死者に近しかった、生きている近親者にデス・ネームを与え別の名で生きていきます。そうすることで死者との関係を断とうとしているのです。
また死者を埋めた場所からすぐに住処を移動し忘れようともします。
私「日本人としては、冷たいなぁって思っちゃいますよね」
姉「でも死を大げさにしているのって人間だけだからね。自然の摂理の一つなんだし、死にこだわりすぎると生きている人も死を恐れて行動しにくいんじゃない?」
シュガさん「そうそう。奥野さんもこう言ってるし」
プナンはデス・ネームによって、死者への視線を生者へとずらし、意識を生者へと向けさせようとしているのだとも言える。そのようにしているうちに、残された者たちの心痛はしだいに癒されていく。
きっと私も含め、日本の人は死者との対話を大事にします。ふと亡くなった人を思い出し、励まされることもあるし後悔することもあります。
しかしプナンのように生きることに純粋である姿勢は、人間が自然を生きる一つの正解ではないかとも思ってしまうのです。
その証拠にプナンでは精神病がありません。
私「プナンに精神病がないのって死を意識しないことが大きくかかわってるんじゃないかと思うんですよね」
シュガさん「あとは自我が芽生えないってのも大きいんじゃない? プナンの人は所有欲や貯蓄する欲を子どもの時に殺いでしまうって書いてあったじゃん。所有や貯蓄をしないってことは『ひまを作る』ことができないから自我が芽生えなくて精神的な病気にはならないのかも」
プナンでは所有欲を幼いころに排除し、シェアする精神を植え付けます。
よって常に共同体で生きるプナンの人々は自我を持たずに生きていけるのではないでしょうか。
さらにプナンでは結婚の概念もなく、男女が次々にパートナーを変えながら子を授かっていきます。その子どもを共同体で育てていくのです。
姉「プナンの人々の精神って日本の感覚で見ると、常に終活してる感じだよね。子どもを共同体で育てることも、いつ自分が亡くなっても子どもたちは生きていけるし」
私「なにも失う恐怖がないので精神病もないのでしょうか」
シュガさん「失うことが精神に与える負担って大きいのかもね。お金にしても、地位にしても、恋人にしても、死にしても」
生きてゆくために、所有を前提とした競争の中で発展してきた人間ですが、本当にそれが正しいのか。プナンの生活を読んでいると考えさせられます。
その証拠に筆者はこう綴ります。
人間には、生まれながら、自動的に共同所有の観念が植えつけられているわけではない。プナンは、「本能」としての個人的な所有慾を、それが芽生えた瞬間に徹底的に殺いでしまおうとする。所有慾は否定され、後天的にシェアする精神が養われる。
シュガさん「プナンの人の方がよっぽど「理性」を使っているのかもしれないね」
私「なんかアリとキリギリスのはなし全否定ですね」
姉「確かにアリの方からは精神病患者でてきそうだよね」
シュガさん「キリギリスも頑張れば冬の土から何か食べもの見つかったかもよ」
私「そもそも所有をして自分だけ生き残ろうなんてプナンの考え方に反します! 理性があればシェアするんです!」
最後は訳の分からない会話になってしまいましたが……
いまの社会では所有することが生き残るために必要だとも思います。
しかし筆者の言う通り「所有が主人になって、所有者が奴隷に」なってしまえば、仮に失ってしまった時に人間として生きることは難しいのではないでしょうか。
常に何かを棄てることで恐怖を和らげていくことが、私たちにもできるのかもしれません。
(と言いながらPaypayモールの20%還元につられて日本幻想文学集成を買いあさる本能むき出しの私なのでした(;_:))