しま子の読書会ブログ

読書会をするブログです。たまに私が見た本や映画の紹介もしたいです。

第二十九回「声」 アーナルデュル・インドリダソン:著 柳沢由美子:訳(創元推理文庫)

姉「次の課題図書さ、アーナルデュル・インドリダソンの『声』にしようかなぁって思ってるんだけど」

 

 と、あまり乗り気ではない様子で課題図書をいう姉。それもそのはず実はこの作品、エーレンデュル刑事シリーズの三作目なのです。

 

姉「一作目と二作目を私はもう読んじゃってるんだよね。だから出来れば三作目でやりたいなぁ」

 

 そんなの気にしないシュガさんと私はOK,OKと安請け合いをしました。

 

 しかしこのエーレンデュル刑事シリーズ、調べてみると北欧ミステリー。

 

 (私が大好きなミレニアムも北欧ミステリーだったなぁ・・・)

 

 気が付くと私は一作目から読み始めてしまったのです。

 

 そして読書会当日。

 

私「二作目の『緑衣の女』が一番面白かった! 事件の真相に向かう中で明かされる加害者の真実が辛いんだけど、その描写が丁寧でリアルで!」

 

姉「いやいや一作目の『湿地』がやっぱり傑作だよね。あの落ちがさ」

 

シュガさん「え。『声』だけ読むんじゃなかったんですか? というか『声』の話はしないんですか?」

 

 ※注意※ この先ネタバレがあるのでこれから読む人は読まないでください!

 

 

 

 エーレンデュル刑事シリーズはミレニアムと違い、どんでん返しのトリックや大胆な展開のミステリーではありません。起こった犯罪に対して被害者と加害者の背景を地道に足を使って掘り下げ、その犯罪が行われるに至った社会的な問題を提示するミステリーになっています。

 

シュガさん「この物語ではやっぱり家族が一つの大きなテーマだと思うんだよね」

 

私「確かに『湿地』や『緑衣の女』も家族がテーマの話でしたね」

 

シュガさん「あん? 読んでないっていってるだろ?」

 

私「(`・ω・´)」

 

 シュガさんは読んでないから知らないのですが、エーレンデュル刑事シリーズでは主人公のエーレンデュル刑事と、その娘であるエヴァ・リンドとの交流が大きな軸の一つです。エーレンデュル刑事は、早々に離婚をし、幼い子どもとの関係を一切持たなくなりました。そんな刑事のもとへ大人になったエヴァ・リンドがやってきます。エヴァ・リンドは麻薬に溺れ、借金を重ね、まともな生き方はできなくなっていました。そんな彼女が現れることでエーレンデュル刑事は後悔の念にかられながらも、なんとかエヴァ・リンドを更生させようと苦心します。

 今回の「声」でもエヴァ・リンドとの微妙な距離感で行われるやりとりが家族の難しさを感じさせます。

 

シュガさん「まあもちろん、エーレンデュル刑事の話もそうなんだけど、今回の事件も家族に対する無関心さが一つのテーマだと思うんだよね」

 

 今回の被害者であるグドロイグル。彼は子供時代に天才子役でした。母親は亡くなってしまい、その分父親から想像以上のプレッシャーをかけられていました。天才子役として必死に歌を歌い続けましたが、その輝かしい日々は声変わりによって終わりを告げます。父親はグドロイグルを諦めきれず、歌のレッスンなどを継続して行いますが、天才子役としての声は二度と戻りませんでした。

 

シュガさん「結局、父親から道具のように扱われてしまったグドロイグルは、放浪のすえドアマンとしてホテルに住み着くことになるのよね」

 

姉「グドロイグルの話も含めて親の役割を果たしていない登場人物が多いよね」

 

私「今回の話でいうと親の役割とは?」

 

姉「なにがあっても受け止めることじゃないかな。例えば声変わりした時に、それでもそのままのグドロイグル自身を受け止めてあげればよかったよね」

 

私「あくまでも歌を歌う子役スターのグドロイグルに価値を置いてるもんね」

 

シュガさん「エヴァ・リンドも父親が一度も会いに来てくれなかったことが自分の存在の否定につながっているよね。ありのままの自分が親に承認されていないと感じちゃう。親に承認されていない子どもたちが不幸になっていく姿が現実的で本当にいやだよね」

 

 大人になったグドロイグルは姉のステファンにこう吐露しています。

 

「ぼくの生き方を認めてないんだ。パパはありのままのぼくを認めてくれないんだ。ぼくを受け入れることができないんだ。こんなに時間が経ったいまでも」

 

 この物語に出てくる登場人物は親からの承認が得られていない。そういう人たちが社会の不幸に絡み取られていく姿が描かれています。

 

 

 グドロイグルが殺された理由もまた子どもの不幸が原因の一端でした。ホモセクシャルでもあった彼は男娼をしている子どもに手をだします。男娼の姉であるウスプに偶然その情事を見られてしまい、激情したウスプに殺されてしまいます。

 そしてそのウスプ自身も男娼の弟が麻薬で作った借金のために、借金取りの男たちに山小屋で強姦された過去があります。

 グドロイグルと弟の情事を見た時のことをこうウスプはこう振り返ります。

 

「いままで一度もそんなふうになったことなかった。腹が立って、気が狂いそうだった。あの山小屋で起きたこと、全部思い出した。あいつらがしたこと、ぜんぶもう一度目に浮かんだ。あたしはナイフを握って、手が届くところぜんぶにめちゃくちゃ突き立てた。細かく切り刻みたかった。あの人は抵抗したけど、あたしは彼が動かなくなるまでナイフで何度も何度も刺し続けた」

 

 エーレンデュル刑事シリーズは犯罪そのものではなく、その犯罪が至った社会的背景にフォーカスを当てます。今回の事件では、家族からありのままの姿を認められなかった人たちの苦しむ姿が克明に描かれていて、読んでていて辛くなっていくのです。

 翻訳者さんのあとがきで作者のアーナルデュル・インドリダソンの考えが紹介されています。

 

 インドリダソンは世の中で一番大切なのは子どもであるという考えの持ち主です。親は子どもを守る最強の砦であれと主張します。子どもが世の多数派に属さないとき、親に認められないことは子どもにとってとても辛いことです。しかし、もし親が自分を受け入れてくれれば、子どもはそれを支えに自己肯定して生きていける。

 

 子どもたちの描写はあまりにも残酷なものです。それは現実に起こっている出来事に蓋をしている私たちに辛さを突きつけるフィクションです。だからこそこのようなフィクションを読むことで子どもたちに対する眼差しがもっと優しくなればいいのにと強く思います。