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しま子の読書会ブログ

読書会をするブログです。たまに私が見た本や映画の紹介もしたいです。

第八回 「コンピュータが小説を書く日~AI作家は『賞』を取れるか~」  佐藤 理史 著 (日本経済新聞出版社) 

参加者:私、お姉ちゃん、シュガさん

 

 わたしはAIや人工知能と聞くとドラえもん鉄腕アトムが頭に浮かんできます。まるで人間のように会話し、喜びや悲しみの感情を持ち、自分でものを考えるロボットたち。

 そして人間の仕事がロボットに奪われるのではないかと叫ばれる昨今。ペッパー君や将棋ロボ「ポナンザ」の登場。そして私が読んでいた新聞の一面のはじっこに書いてあった、「AI小説が星新一賞の一次選考突破」の記事。

漫画やアニメのような時代がもうすぐ来るような気がしてワクワクもあり少しの怖さもあり……。そんなふうにAIの未来を考えていました。

 

 そんな私の頭のファンタジーを右ストレートで粉砕したのが今回の「コンピュータが小説を書く日」でした。

 

 本書はAIの書いた小説が星新一賞の一次選考を突破した過程が書かれた作品です。

 

 ちなみに今回の本はシュガさんが決めました。新聞の記事を読んだのかな、と思って聞くと一言

 

 

 

「知らん」

 

と返ってきました。

 

 じゃあ何でこれ選んだの

 

 今回読んで改めて感じたのは人が「ものを考える」ことの複雑さです。

 

 この本では何度も「文章」の複雑さについて触れています。

 

 花子はリンゴを食べた。

 

 本書の例をあげればこの文に対して「太郎はみかんを食べた。」でも「今日の朝食はそれだけだった。」でも続きの文はたくさん考えられます。

 しかし以下の文は私たちにはおかしいことが分かります。

 

 花子はリンゴを食べた。リンゴはビートルズの一員だった。

 花子はリンゴを食べた。リンゴが小説を書くわけではない。

 

 なぜこれらの文がダメなのでしょうか? と本書では問いかけています。文章のルールとして「前後の文ではなんらかの関係を持つ必要がある。」という事はできると思います。しかしそこに厳密なルールを定義することが私たちにできるでしょうか?

 本書では「つまり『花子はリンゴを食べた』に続きうる文かどうか」を判定するプログラムを作ることは難しいのです。ましてや、文章を自在に紡ぐプログラムを作るなど、夢のまた夢です。」と書かれています。

 

 私たちがどのように文章を書いて紡いでいるのか。ただでさえまともに文章を書けていない私がそのことを説明するなんて無理です。

 

 「コンピュータが○○できた」、「〇〇することができるコンピュータ」というのは、結局のところ擬人的な表現でしかなく、本来の意味は「○○のためのアルゴリズムがわかった」です。賢くなったのは人類であり、機械ではありません。

 

アルゴリズム…コンピュータプログラムを作るための、明確に記述された手順。

 

 この一文を読み機械が一人でに頭が良くなっていると思っていた自分の頭は、ファンタジーに染まっていたのだと改めて感じました。

 

 ではそんなAIがどのようにして小説を書いたのでしょうか。

 

 私の解釈ですが、書き方としては「話の大筋」(手順)を人間が決めておいて、その大筋を人間がシーンごとに分け、そのシーンに相応しい表現(部品)を人間が用意し、最後にコンピュータが組み立てていく。という形です。

 

 本書ではその過程が詳しく書かれているのですが、筆者は最後の方にブロック玩具のたとえを出します。

 

 最近ではレゴランドが名古屋にできたっていうので話題になりました。

 

 

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デンマークレゴランドの画像〉

 

 

 すごすぎです……。(色んな意味で)

 ではこの作品を創ったのは誰でしょうか。

 もしこの作品をあなたがマニュアル通りに組み立てたと仮定した場合、筆者はありそうな答えとして

 

・組み立てたのはあなた。

・でも創作したのはあなたではない。

 

 をあげています。

 コンピュータが小説を書いた事実はもう少し複雑で

 

1、(人間が)部品を用意する。

2、(人間が)組み立て手順を用意する。

3、(コンピュータが)組み立て手順に沿って部品を組み上げ、作品をつくる。

 ただし、組み立て手順には自由度があり、何万通りもの作品を組み上げることができる。組み上げたのはそのひとつで、かつ、これまでに存在しなかった作品。

 

 これはAIが小説を書いたといえるのでしょうか。私としてはAIが書いたと言ってあげたいです。

 ただここで問題になるのが小説としての面白さです。

 この小説の面白さは、部品と手順を用意した人間に依存してしまいます。

 今回のAIが作った小説は、あくまで筆者たちの用意した部品と手順です。本書の副題は「AI作家に『賞』は取れるか」。筆者の結論として部品と手順を用意する人間が面白ければ、取れる可能性はあると。

 しかしそれだけ面白いものが用意できる人は、そもそも大量の投資をしてコンピュータを使わなくていいのでは?

 そういう風に考えると人間が「ものを考える」ことのアルゴリズムを解明しない限りは、コンピュータから小説が生成されることはないし、「感情」のアルゴリズムが解析されない限りはドラえもんやアトムは生まれないのでしょう。

 

 私はその複雑なことが分からないから「人間」は文章にして小説を紡いでいるのではないかと思うのです。

 

 それにお姉ちゃんが言ってました。

 

 人間はその日の天気で書くものが違ったり、直近の出来事に影響されながら小説を書いているはずだと。

 

 その人間の感情の起伏がアルゴリズムとして解明されることがあるのでしょうか。

 お姉ちゃんはそんな日がくるとなぜか自信満々にいっていました。(根拠はないそうです)

 

 本書を読んでそう思えるのはすごいと思います。私はドラえもんやアトムのような人工知能は人間が空を飛ぶくらい不可能だと思います。

 

 ただ飛行機を使って空を飛ぶことは、「人が空を飛んでいる」といえるのかもしれません。

 

 そういう意味で「このロボットは感情がある」と言える日が来るのは近いかもしれません。

 

 

コンピュータが小説を書く日 ――AI作家に「賞」は取れるか

コンピュータが小説を書く日 ――AI作家に「賞」は取れるか