第十九回 「罪と罰」 ドストエフスキー 著 工藤精一郎 訳 (新潮文庫)
今回の参加者:私・お姉ちゃん・シュガさん
これは私の何の罪への何の罰なのでしょうか・・・
いままでこの読書会でも年末年始には「細雪」や「白鯨」など、本として重い題材を扱うことが多かったです。重い題材を扱うときは全員でその本を決め覚悟を持って決めました。
それ以外の日は、三人で順繰りと読む課題を決めていくのです。そして次の選定者はシュガさんでした。
シュガさん「じゃあ罪と罰で」
私・姉「!?」
な、何を言っているんだ、この人は・・・。
いや、いつかは読まなきゃなと思うのですが、いまじゃ、いまじゃなくても・・・。
色々あって「罪と罰」を読むのが4回目になるお姉ちゃんは悟りきった目を明後日の方向に向けていました。
シュガさん「ま、私は読むの初めてだから。じゃ、よろしく~」
その軽い言葉とは真逆の重い読書に、私の読む手はなかなか進みません。
とにかく文字、文字、文字! いや本だから当たり前なのですけど、なんかページいっぱいに埋まる黒。真っ黒に見えます。
それにとにかく心情の描き方がえぐい。どこまでも掘って掘って綴られる心情に私のHPは削られていきます。
そして統一されない呼称! 一人の人物にどんだけ呼び方あるんですか! ラスコーリニコフとロジオン・ロマーヌイチとロジャーが同じ人物って!
そんな私がミレニアム三部作に浮気しても仕方がないと思うのです。なぜあの五千ページほどの物語はすらすら楽しく読めるのに、この真っ黒な本は読めないのでしょうか。
ふと頭を抱えながら図書室をふらついていると悪魔の本が私の目の前にあらわれたのです。
「罪と罰―まんがで読破―」
すぐさま私はLINEをシュガさんに送りました。
私:「読めなかったらまんがで読破、罪と罰よんできます!」
シュガさん:「そんなの読んでる暇あったら原作読め」
私:「(´・ω・`)」
罪と罰は貧しい大学生のラスコーリニコフが一つの微細な罪悪は百の善行に償われるという理論のもとに、性格の悪い高利貸しの老婆を殺害します。しかしその場に偶然にやってきてしまった性格の良い妹リザヴァータまで、殺してしまうのです。
罪の意識に苛まれていたラスコーリニコフは娼婦のソーニャに出会います。そのソーニャの自己犠牲の精神に心を打たれ、最後は罪を償うために自首するのです。
と、あらすじだけをまとめれば簡単になってしまいますが、他にもラスコーリニコフの妹であるドゥーニャを取り巻く事件があります。
ドゥーニャを手に入れようとあらゆる悪事に手を染めるスヴィドリガイロフという人物がいます。彼は(本文中には明示はされていないのですが)恐らく妻を殺し、ドゥーニャを手に入れるためにあらゆる手段を使います。
しかし最終的にドゥーニャに受け入れてもらえず自殺をしてしまいます。
私「二人とも自分の目的のために人を殺し、その達成が上手くいかなかったんだけど、なんで片方は自殺で、片方は法的に裁かれたんだろう。私は最後までラスコーリニコフも自殺するのかなぁ、ってなんとなく思ってたんだけど」
シュガさん「スヴィドリガイロフのほうが気持ち悪いから」
姉「いや、わりとどっちも気持ち悪いとは思うんだけど・・・。やっぱりラスコーリニコフはソーニャに出会ったというところが大きいと思う。娼婦という行為に罪を抱えるソーニャに共感されたことで救われたんじゃないかな」
シュガさん「スヴィドリガイロフは自分の目標のために行った殺害に負い目を感じていないように見えるしね。目標を失った時に陥るのが自殺ってことなのかもよ。特に頭でものを考える理性的な人たちは」
私「けど、ラスコーリニコフも目標を失ったように感じるのですが・・・」
姉「ラスコーリニコフの思想犯罪って〈非凡人は何をしても良い〉ってところが出発点じゃない? けどあそこまでページを割いて描かれているのは『自分が非凡人ではない』ということなのね。それでも殺害を行ってしまったのは、自分が非凡人ではないと証明したかったからじゃないかな」
シュガさん「そもそも目標がないんだよね。ラスコーリニコフには。何かを成し遂げたいんじゃなくて、自分がそうだと証明されたい。しかし殺しても非凡人だと証明されることはなく、その意識に苦しめられていく。だから自分が行った殺害に対しても罪の意識なんてないんだよね」
私「ええ! もう私、罪と罰って題名だけで罪の意識はあるものだと・・・」
シュガさん「こいつ全然反省してないからね。殺人のことに関しては。もうとにかく自分の心が楽になりたいってだけで考えてる。それに比べるとスヴィドリガイロフのほうが目標に向かって邁進しているよ。どっちかっていうとラスコーリニコフが憧れたナポレオンはスヴィドリガイロフのほうが近いんじゃないかな」
自分の論理に当てはまることを証明したいがための殺人と、自分の目標のために行った殺人。ラスコーリニコフは思想犯です。彼自身の行ないは彼の理論のもとでは完璧であったのですが、ただ彼が非凡人ではなかった。そこに理性的な人間の苦悩が描かれているのです。
姉「だから私は理性的な殺人の批判だと思ってる。殺人ってのは理論的には行えないんだよ。ナポレオンだって自分の目標のために人を殺して来たけど、その殺人の客観的な評価は本当に理論的なのかな。客観的に正しい殺人なんかないから、このような物語になったんじゃないかな」
シュガさん「だから最後に聖書によって二人が救われるんだね。理論とか関係ないとこで救われちゃう。そもそもそうやって理論的に物事を考えることこそが罪であったのかもね」
法の裁きで流刑囚となったラスコーリニコフはシベリアに送られます。そこにはラスコーリニコフに向き合うソーニャも一緒に向かうのです。論理的なラスコーリニコフは神をまったく信じていませんでしたが、献身的に自分を支えるソーニャの心身深さに打たれ、最後は回心をします。
そしてこの物語はこう終わるのです。
しかしそこにはもう新しいものがたりがはじまっている。一人の人間がしだいに更生していくものがたり、その人間がしだいに生れ変り、一つの世界から他の世界へしだいに移って行き、これまでまったくしらなかった新しい現実を知るものがたりである。これは新しい作品のテーマになり得るであろうが、――このものがたりはこれで終わった。
私「もう、作者も殺害については咎めていないような気がしてきました。頭でっかちに考えることに対しての戒めというか」
姉「まあ私たちには馴染みがないけど、やっぱり聖書をしっかり理解してないとわからないかもね」
シュガさん「理論に振り回されて、わりと感情的になるしね。議論してたと思ったら発狂するシーンも多かったし。なんか読むほうが壮大な戒めをうけているような感じがするよね」
また聖書の内容を学び時が経って読めば、もう少し深く理解できるようになるのでしょうか?
そして最後にお姉ちゃんとシュガさんに私の罪を告白しなければなりません。もしかしたら今回の読書会内容を読んでいて気づいた人もいるかもしれません。
そう、私が下巻の途中で投げ出し―まんがで読破―を読んで読書会に臨んだことを・・・!(終わってからちゃんと読んだので許してください!)
- 作者: ドストエフスキー,工藤精一郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
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