第十七回 「水滸伝」 施耐庵 作 松枝茂夫 編訳(岩波少年文庫)
シュガさん「いやーいま幻想水滸伝ってゲームにはまってるんだよねー」
この発言を聞いたときから嫌な予感がしていました。
確かに面白いです。色々な事情を抱えた個性的な仲間に出合い、集めた108人の仲間の中から6人のパーティを決めて敵に立ち向かう。ちまたではⅡが最高傑作と言われていますが、私的には最初にプレイしたⅢが大好きです。使うキャラクターは章ごとに違い、三人の主人公の視点からゲームをプレイしていきます。しかしストーリを進めて行くとその三人の物語が交差し、胸の熱くなる展開に思わず昔プレイした興奮がよみがえ……
シュガさん「というわけで水滸伝ね」
と現実逃避をしている間に「水滸伝」になってしまいました……。
ゲームならいいんですが、読む形として108人のキャラクターを追うことは果たしてできるのか。そして楽しめるのだろうか。そんな不安を抱えながら水滸伝を読み始めるのでした。
そして読書会当日。
姉「……どうだった?」
私「……びみょー」
姉「あんたが微妙ならシュガさんは好きだろうね」
私「うーんそんな気がする」
待ち合わせ場所でそんな話をしていると、遅れてきたシュガさんが第一声
シュガ「いや面白かったねぇ!」
私とシュガさんが二人とも面白いという作品は現れるのでしょうか。
基本的には義侠心があつく、カリスマ性を持った宋江というキャラクターを中心に群像劇を経て様々な仲間が集まってくる話です。
私がこの水滸伝に対して不満に思うのは、キャラクターの豪快さと迂闊さです。彼らは気に入らないと簡単に人を殺します。そして登場するキャラクターが入れ替わり立ち代わりするのですが、その群像劇がある種ワンパターンになっているのです。そのパターンが
- なんやかんやの理由で人を殺す
- 罰を受けて島流しされる
- 別の人から殺した事情を聞いた新たなキャラが、①の人に情状酌量の余地があるので助ける
- 「ついに良いキャラが現れた!」と思うといつの間にか助けたやつがなんやかんやで人を殺してる
- 以下2に戻ってループ
このパターンに私は呆れてしまうのです。殺すにしても助けるにしても、もっとやりようがあるでしょ! と。
それに、よく酒に毒を入れられてしびれて、ピンチになります。もっと酒をひかえなさい! そんな戒めでもこめられてるのでは、と思うぐらい酒の失敗が多いです。
私「なんかフィクションだと分かってるけれど、「豪傑さ」という言葉を隠れ蓑に理不尽なことをしすぎじゃないかな、と思っちゃう」
そんな私が選ぶ理不尽エピソードベスト2!
30 霹靂火秦明、焼け野原を走ること
上司の命令で宋江さんと対立していた秦明さん。弓の名手の花栄さんに負けて捕まってしまうのですが、宋江さんに慈悲をかけられて助けらます。さらに宋江から話を聞いているうちに自分の上司の行為に不信感を抱き、上司に確認を取るために村に戻りたいというのです。
ここまではまあいいです。
宋江さんは我々と一緒にここにとどまり仲間にならないか? と引き止めるのですが、秦明さんも上司に確認をとるまでは、と誘いを断ります。一刻も早く上司に事情を聞きたい秦明さん。しかし宋江さんはむりやり一日引き止め、宴会に参加させます。
ようやく上司の住む城に戻るのですが、城門をまったく開けてくれない。
「おれだ、秦総監だ! どうして城を開けないのだ?」
「うぬ、謀反人め! きさまは昨夜民家を焼き討ちし、多くの良民を殺しておきながら!」
まったく記憶にない自分の謀反を疑問に思いながら宋江さんの所に帰ると宋江さん曰く、
「総監どの、どうか悪くとらないでください。山に引き止めようとしましたが、どうしてもご承知くださらぬので、私の発案で、総監に様子のよくにた兵士に総監のよろいをかぶせ、こうして人を殺し、火を放つことによって、総監の家に帰ろうとのお気持ちを断ち切りました。」
これで裏切り者の身内として妻も殺された秦明さん。無事仲間に……
私「ひどすぎるよ! もっとやりかたあるでしょ!」
シュガさん「まあ、これも引き止めるための作戦だから……」
私「じゃあこのエピソードはどうだ!」
45 雷王と朱仝、迫られて梁山泊にのぼること
朱仝さん、とういうキャラクター。宋江さんと対立する派閥にいるのですが、宋江さんの義侠心にいたく感心して(私はまったくそう思いませんが!)45章にいたるまでに敵ながら何度も宋江さんを助けます。
そんな朱仝さんを仲間にしたい宋江さん。ある作戦を立てます。
朱仝さん。上司に気に入られて上司の子どものお目付け役を言い渡されます。確かにその役職にふさわしいほど朱仝さんはいい人です。
坊ちゃん「あたい、このひげのおじちゃん好き!」
そんなことを言われるほど朱仝さんは上司の子どもからも気に入られていました。
ある日、朱仝さんと坊っちゃん、二人連れだって外を散歩することになったのですが、その途中で宋江さんの仲間である雷王と呉用に呼び止められます。
朱仝「坊ちゃん、ここで待ってらっしゃいね。飴を買って来てあげますから。ほかへ行っちゃだめですよ」
そう言ったあと、雷王に人気のないところに連れて行かれる朱仝さん。
ここで今まで、宋江さん陣営を助けてくれたことのお礼と、仲間への打診をされますが、上司を裏切れない朱仝さんは丁重にお断りします。しかし……もとの場所に戻ると坊ちゃんの姿が見つからない!
必死に捜していると、宋江さんの義兄弟、暴れん坊の李逵に出会います。
森の中に入ると坊ちゃんは頭を半分にわられて死んでいました。
そしてなんやかんやで仲間になったのです……。
シュガさん「これは私もひどいと思った」
私「ひどすぎますよね!」
姉「確かに義侠心のかけらもないよね」
グーグルで宋江で検索すると「クズ」という関連ワードが出てくる理由も分かりましょう。
このように章ごと理不尽さを訴えるのですが、シュガさんはいいます。
シュガさん「けどエンターテイメントとしては完璧だと思うのよ。この物語って人間が思っていてもできない衝動を現実にしてくれているのね。腹が立ったら人を殺すし、仲間にしたかったらどんな方法でもとる。だからこそ、このバイオレンスさがいいのよね。『アウトレイジ』見ている感じ?」
理不尽な暴力。それが人の気持ちを昇華させてくれていると言うのです。
姉「たぶんそういう考えってフィクションを完全にフィクションとして見ることができるからだと思うのよね」
シュガさん「確かに。アウトレイジの血とか見ていても血糊だって思うし」
私「私はむりです。やっぱりフィクションでも現実の地続きな気がして、水滸伝のキャラクターの理不尽な行動はどうしても違和感を持ってしまいます。エンターテイメントとして割り切れない」
見方によれば水滸伝の豪傑たちは、私たちが持っている衝動を解放してくれるキャラクターです。しかし私はどうしても理不尽さで一回足どまってしまいます。
その理不尽さで盛り上がり、その後好きなキャラクターで盛り上がり、またそのキャラクターの理不尽さで盛り上がり、水滸伝の話は尽きず……
あれ? ここまで盛り上がるってことは「水滸伝」めちゃくちゃ面白いんじゃない?