読書記録②:「敗者の読書術―圧倒的な力の差をくつがえす発想法」 高橋弘樹 著
お恥ずかしいのですが、私は「読書術」という名のつくものが大好きです。
「楽しいから本を読んでいるんだ!」と胸を張って言えればいいのですが、そんなピュアな心は小学校に置いてきてしまいました。
ふつふつと湧き上がる、どうしても読書を「自分に還元したい」という気持ち。そんな欲望が自分にとっては唾棄すべき汚い考え方だと思うようになっていました。
「本は楽しいから読むんや!」どこかで聞いたことあるようなそんな声が天から聞こえてくるのです。
そんな中で出会ったのが「読書術」と銘打った本たちです。
有名な小説家から、うさんくさそうな評論家まで、さまざまな人たちが独自の「読書術」を書いていました。そこには「自分に還元したい」という気持ちも本を楽しむ一つの在り方として上手く描いてくれる読書術の本もたくさんありました。
本で得られる体験は人それぞれでありますが、読み方にも様々な方法があります。本を読んでいて自分の読み方のスタンスに悩んだ時は「読書術」の本はおススメです。
前置きが長くなりましたがそんなこんなで「読書術」と書いてある本があるとなんとなく読んでしまう身体になってしまっています。今回読んだ本はテレビ東京プロデューサーの書く高橋弘樹さんの「敗者の読書術」です。
本のカバー帯には大文字で
「金、なさすぎ!」
と書いてあります。
筆者いわくテレビ東京という金がない場所でどのように他局と勝負するか。
土曜日のゴールデンタイムに蛭子さん(「ローカル路線バス乗り継ぎ旅」)で、くりぃむしちゅー(「世界一受けたい授業」)や、ナインティナイン(「めちゃ×2イケてるッ!」)と戦うことになるのです。
蛭子さんに失礼な気もしますが、確かに他の番組の予算の方が多いような気もします。
そんな中でどうやったら他局と戦えるか。
読書とは実際に経験することができないものを効率よく、短時間で疑似体験させてくれるものです。
そう読書の効果を評し、そこから「弱者が強者と戦うための武器を得る」のコツがここには書かれています。
本は王道を読むことも大事だそうです。なぜなら
①世間一般的に支持されるものは何かを知る
②何が外道かを知る
王道を知らなければ何が外道かわからない。まずはある程度王道を読まなければならない。たぶんここでいう外道は現代の人が離れてしまっている本を指していると思うのです。
また企画を作るための読書術として、街や人に感じやすくなるが大事だそうです。
街や人に感じやすくなるために必要なのが
①違和感を見つける力
②違和感の正体について仮説を立てる力(違和感を面白いと「感じる」力)
③違和感の正体について実際に解き明かす力
その中でも②違和感の正体について仮設を立てる力が特に重要で、そのために本を読むことは有効なのだそうです。
例えば永井荷風の「濹東綺譚」や色々なものを読んで、昔の東京の街並みの記憶をかすかにとどめる。そうすると②の違和感の正体について仮説を立てる力がつくのです。それが今までの物事を別の視点から捉え直し面白いものにする企画につながるのだそうです。
また「濹東綺譚」のような私小説は人間に感じやすく力を養うことにもなります。
私小説とは、作家が実際に経験したことをもとに書かれた小説で、普段は表に出さない人間の内面を、時に露悪的なほど赤裸々に吐露するような内容が多いからです。(中略)
こうした私小説を読めば読むほど、「人間」への興味が湧いてきますし、さらには今まで嫌悪を抱いていた人にさえ、興味や愛着を持てるかもしれません。
今まで私小説は割と読むのが苦しく感じていました。しかし読む視点をこのように変えれば中身をもっと楽しめるようになる気がします。
最後に筆者は「文章憎命達(文章は命の達するを憎む)」をいう杜甫の名言を引用しこのように言います。
「よい作品を生み出すには、不幸なくらいのほうがいい」
負けているという経験は、さまざまなものに敏感になれるチャンスであると筆者は言います。
そういう意味で
現代の自己啓発本 =成功体験に基づいている
古典(昔の自己啓発本)=敗北体験に基づいている
だからこそ古典を読むことで敏感になれるのだと強く言います。
どうしても古典や私小説を「面白くない」という理由で敬遠しがちになってしまします。しかしこのように視点を変えるだけで、現代にも十分生かせる読書体験に変わります。
私は現実とつながっているからこそ、読書が楽しくなると思うのです。だからこそこの「読書術」から得られた本を読むコツはこれからの読書を楽しむことに繋がると思います。