しま子の読書会ブログ

読書会をするブログです。たまに私が見た本や映画の紹介もしたいです。

第十回 「ラピスラズリ」 山尾悠子 著 (ちくま文庫)

今回の参加者:私、お姉ちゃん、シュガさん

 

世の中には分からないものがあります。

 

数年前、数少ない友人から薦められた山尾悠子さんの「ラピスラズリ」。

 

難しくて、小説の世界にまったく入れずわけが分からない、と友人に言った時の苦笑いが今でも忘れられません。

 

しかし私の人生体験や読書会の日々。それらが糧になって今なら読める気がするのです!

そしてその友人と今なら笑いあえると思う!

 

時は来た!それだけです!

 

・・・

 

うおおお。やっぱ全然分からない!

 

満身創痍で読書会に向かった私を待っていたのは楽しそうな二人でした。

 

姉「ラピスラズリ面白かったね。課題図書にしてくれてありがとう」

 

シュガさん「いやー面白かったね。よかったよかった」

 

この人たちと分かりあえる日がくるのでしょうか。

 

 

 

本書は連作の長編小説です。

第一篇「銅板」と題された短篇では、主人公の〈わたし〉が小説の挿絵として製作された銅版画を見てまわります。その銅版画の描写の仕方の言葉一つ一つが綺麗なのですが、読んでいると浮遊感に誘われてだんだん眠くなってきます。それは〈わたし〉も同じなようでまどろみながら、その銅版画を見て行く。そこでこの短篇は幕を閉じます。

 

「銅板」は本書の中でイントロダクションのような役割をしています。この後の中短篇で、この銅版画に書かれた絵が一場面になるような物語が始まります。

 

その中でも中心となるのは「竈の秋」と題された中篇小説だろうと思います。

 

「竈の秋」には特異な性質を持ったキャラクターが出てきます。

 

冬のあいだ眠り続ける宿命を持った〈冬眠者〉。

眠る時に冬眠者が部屋に置く人形を運び込む〈荷運び〉。

その冬眠者を安全な眠りに導く〈使用人〉たち。

冬眠者が眠る塔にあらわれる〈ゴースト〉。

その塔の外の森に存在し、なぜか塔に行こうとする、身体がただれてしまっている〈森の住人〉。

第三者の視点から彼らの行動を並行的に見る読者の私たちは、いつの間にかそれぞれのキャラクターの本質を知っていくことになります。そしてイントロダクションで見た銅版画をもう一度じっくり見たくなるのです。

 

しかし私にはこの物語を追うことさえ難しく、何もわからず読書会に参加しました。しかしお姉ちゃんとシュガさんがキャラクターの役割を一つ一つ丁寧に解説してくれると、だんだんと小説の世界を飲み込めるようになってきました。

 

お姉ちゃんはこの小説はいくつものキーワードがあると言っていました。

「眠り」「目覚め」、それに「人形」を強調して説明してくれました。

冬眠者は眠りの時に「人形」をそばに置きます。これは実際には書いていないのですが、「人形」の役割として「依代」つまり身代わりの役割があると考えられます。その「人形」があることで冬眠者たちが再び目を覚ますことができる。

しかしこの目覚めは身代わりの果てでの目覚めです。それは正当な目覚めなのでしょうか。

 

〈ゴースト〉というキャラクターは自分の死んだ理由が分からずさまよい続けます。しかし謎の存在から「役目」を与えられていて、それが成就した時に青金石の色の光をあげて消えて行きます。これは天使になることを示唆しているとお姉ちゃんは考えました。

青金石、つまりラピスラズリの深い青は夜空を、金色は星。そこから「天を象徴する石」と呼ばれています。そんなことからも青金石の色の光は天使を指しているのではないでしょうか。

 

冬眠者もある意味では「人形」がいなければ死んでしまう。冬眠とは死んだ状態なのです。しかし身代わりを使って死んだ状態から再誕する冬眠者。

逆に言えばゴーストは死んだ状態から天使になります。果たしてどちらが良いことなのか。

 

それはこの物語上での〈冬眠者〉の悲惨な最後が示唆しているようにも感じます。

〈使用人〉側で反逆の準備が整うと、使用人たちは〈冬眠者〉たちを森の中に捨てるのです。

そして〈使用人〉が新たな〈冬眠者〉になります。そして森の中でさまよい続け塔に恋い焦がれる〈森の住人〉となるのです。

身代わりによる不完全な再誕の果てです。

 

 

またシュガさんは「一つ一つの言葉のイメージが大切にされている」と言っていました。

 

シュガさんは小説を書いているのですが、先輩の方に「イメージばっかで書いてる」と評されたことがあるそうです。

その時、シュガさんは「この言葉を使うことで何かを表現したい」という思いで小説を書いていました。それは「このきれいな色を使うために絵を描く」ような心情。このような制作方法は時に一人よがりの作品になってしまうそうです。

 

山尾悠子さんの小説は「冬眠」「人形」一つ一つの言葉からイメージが膨らましていって一つの作品になっていると感じさせます。

言葉で世界を作る。詩や短歌ではよくそのようなことが行われます。

しかし小説でそれをやる。それが巧みで、文脈が音楽のような気持ちよさで響いてくるそうです。(私には一生理解できなさそう・・・)

言葉の世界は独りよがりになりがちなのに、山尾さんの小説はストーリーになり人の描き方が上手い。シュガさん大絶賛でした。

 

まだまだそれぞれのキャラクターについて色々考察したり考えたりしたのですが、今回はこのへんで。 話しても話しても話足りない世界観でした。

 

ふたりの人生経験豊富な先輩のご伝達のおかげで、なんだか頭を抱えていた読書体験が少し上塗りされました。

読書会の醍醐味はここだと思うのです。自分の世界を作り堅固に守ることも大切なのかもしれませんが、新しい考え方を楽しく受け入れることが読書の楽しみを増やしてくれました。

 

 

 

まあシュガさんとの趣味はあわないなと改めて思いましたが。

 

ラピスラズリ (ちくま文庫)

ラピスラズリ (ちくま文庫)