しま子の読書会ブログ

読書会をするブログです。たまに私が見た本や映画の紹介もしたいです。

第二十三回 「死者の奢り・飼育」 大江健三郎:著 (新潮文庫)

今回の参加者:私、姉、シュガさん

 

 現代文の苦手だった私は高校一年の時に問題集を買いました。その中に「死者の奢り」が入っていました。そして……現代文という教科への苦手意識はますます深くなっていったのです。

 あまりにも訳の分からない文章で実際に文庫本を買って全文を読んだのですが、それでも訳が分からない。

 

シュガさん「じゃあ今回の課題図書は大江健三郎の『死者の奢り』で」

 

私「……話聞いてました?」

 

 

 

 

 そして私はもう一度「死者の奢り」に挑戦することになりました。かなりの苦手意識だったのですが……

 

 あれ……? 面白い!

 

 「死者の奢り」も面白かったのですが、そのほかの短篇、特に「飼育」が気に入りました。

 

 戦争中にある山村に不時着してしまった黒人兵を村で監禁する話です。地下に監禁された黒人兵の様子はまさにペットのようで、小学生の時に入った飼育小屋のような独特の匂いが本の中から立ち込めてきます。

 

 むらの少年たちと黒人兵の交流はまさに無垢なやり取りで、読んでいて微笑ましいのですが、黒人兵を監禁することの本質が最後に現れてしまい無残な悲劇で終わります。

 

シュガさん「今回の短編って全部を通して生きている人間の分かりあえなさを痛感するよね。人との間は本質的な所では分断しかなくて、その分断が分かりやすく表面化されているな、と」

 

姉「んー。その時代を生きていない私たちが勝手に語ってはいけないことでも思うけど、やっぱり戦争中や戦後の高度経済成長期って『みんなで一緒に頑張ろう!』みたいな空気があったんじゃないかな。そんな空気に冷や水を浴びせるような短編集だよね」

 

 黒人兵と子供との交流は純粋なものだったはずなのに、「大人」の世界はその純粋さがなく、あるのは分断だけなのではないでしょうか。最後その黒人兵に裏切られた子供はそんな大人の世界に慣れていきます。ただ私は最後の一文がどうしても気になるのです。

 

僕は昏れののこっている狭く白い空を涙のたまった眼で見あげ弟を捜すために草原をおりて行った。                 「飼育」

 

 この涙は子供の世界にもどれない諦観の涙なのでしょうか。

 

 

 

姉「私は『人間の羊』が良かったな」

 

 「人間の羊」はバスの中でアメリカ兵に下着を降ろされ四つん這いにされ、辱められた「僕」や他の乗客。それをバスの中で見ていた「教員」が「警察に届け出て事情を話せ。自分が証人になる」と言い、「僕」がしつこく付きまとわれる話です。

 

誰か一人が、あの事件のために犠牲になる必要があるんだ。君は黙って忘れたいだろうけど、思いきって犠牲的な役割を果たしてくれ。犠牲の羊になってくれ。                     「人間の羊」

 

姉「味方ぶってるやつが一番面倒くさいっていう話の典型だよね。自分自身で消化しようとしている経験を、他人に暴露されていろんな人に吹聴されるほど嫌なこともないよね」

 

シュガさん「教員自身は被害にあっているわけではないしね。外から見ている人間が弱者を犠牲に抗おうとする構図が、現代でもよく見るなぁと」

 

 

 結局、私たちは安全地帯にいながら、被害者を犠牲にして世間に文句を言う構図は今とそう変わらないのかもしれません。

 

 

 

 

シュガさん「私は『他人の足』が一番好きだった」

 

 舞台は脊椎カリエス療養所の未成年者病棟です。足の不自由な人たちはその中で、希望ややりたいことはないのですが、自分の欲望に忠実に気楽に生きていました。しかしある日、そこに文学部にいたという学生が入院してきました。彼は病棟内の様子を見、尊厳をとりもどすためだ、といって患者を集めて啓発活動を行います。そんな彼にみんな惹かれて、患者たちも希望のある人間になっていくのですが……

 

シュガさん「高潔に生きようと啓発する青年が、結局足が不自由じゃなくなった途端にみんなと一線を引いて去って行く。さっきの『人間の羊』じゃないけれども同じ体験を共有していないことって結構人を分断させると思う」

 

姉「全編を通してなんだけど、第二次世界大戦の影が小説にあるんだよね。その戦争で参加して敗戦した人と、いつの間にか敗戦していた人。その人たちの心の隔たりが顕著にでてるような気がした」

 

 「死者の奢り」でもそうなのですが、戦争に参加しなかった負い目というか、敗戦という現実を消化できない人たちの深い諦観のようなものを感じます。

 

戦争の終ることが不幸な日常の唯一の希望であるような時期に成長してきた。そして、その希望の兆候と氾濫の中で窒息し、僕は死にそうだった。戦争が終り、その死体が大人の胃のような心の中で消化され、消化不能な固形物や粘液が排泄されたけれども、僕はその作業に参加しなかった。そしてぼくらには、とてもうやむやな希望が融けてしまったものだった。

                          「死者の奢り」

 

私「なんかこの希望が融けてる感覚って戦争は経験していないのに私にも分かる気がします」

 

姉「私たちも社会全体で何かを頑張ろう、って経験ないしね」

 

シュガさん「ネット社会でみんなが同じ意見や正義の方向に流されることもあるけど、そんな中で結局は私たちは分かりあえてないことを自覚はするべきだと思うよね」

 

 

 純粋無垢に他人と関係することほど憧れることはありません。そしてそれを信じていたい気もします。ただどこかでこのような短編集にある人間の心を知っていないと、人生は踏ん張り切れない時があるかもしれません。

 

シュガさん「まあ私らも分かりあえないしね」

 

姉「まぁ、だからこそ読書会やってるところもあるし。やっぱり人が分かりあえるのは経験と時間かもね」

 

 

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

 

 

 

 

外から見ている人間が弱者を犠牲に抗おうとする構図が、現代でもよく見るなぁと