第十八回 「ケン・リュウ短篇傑作集② もののあはれ」 ケン・リュウ著 古沢嘉通 編・訳 (ハヤカワ文庫SF)
シュガさん「この短篇のこの一文がとても良かった!」
この一言でこの日の読書会の運命は決まってしまうのでした。
今回の課題図書はケン・リュウさんの「もののあはれ」という短編集です。表題作である「もののあはれ」を中心に少し寂しさを感じさせるSF短編が並んでいます。その中でシュガさんが取り上げた一文は「一ビットのエラー」という短編のこの一文でした。
信仰への道を納得して進むために、必要なのは1ビットのエラーだ、とタイラーは考えた。
「1ビットのエラー」はタイラーという主人公が信仰がエラー的な認識であると理解しながらも信仰を求める物語です。
タイラーはリディアという女性に恋をします。そのリディアもタイラーに好意を持っていました。
ただこのリディアは実は「アンブリエル」という天使を見たことがあり、その天使から受けた祝福によって神への信仰を持っていました。
そんな二人がある日、交通事故にあいます。そこでリディアは亡くなってしまいました。
そんなリディアの最後が不思議だったのです。
事実としてタイラーが思いだせるのは、あたしはもう助からない、どこも痛くない、天国で会いましょうとリディアが言ったとき、彼女がとても冷静で怖れていなかったことだ。
そして彼女は大きく目を見開き、「ハロー、アンブリエル」と言った。
タイラーは彼女がいま見ているものを見ようとして座席の上で体をひねろうとした。自分には何も見えないだろうとわかっていたとはいえ。
愛する彼女が死を迎える瞬間に見ていた光景。それをタイラーも見ようとしますが、見ることが出来ません。
なぜならタイラー自身が神を信じていなかったからです。
彼女が亡くなってからも、同じ光景を見たいと願うタイラーは、ある仮説を立てます。
それが冒頭のシュガさんが良かったと言った一文です。
この仮説に従って肉体を弱らせたり、麻薬を使ったりしますが結局タイラーにはその光景を見ることができませんでした。
諦めて新しい女性を見つけ、子どもを産み、生を歩んでいたタイラーの目の前に突然「アンブリエル」が現れます。
その理由をタイラーはあくまでも外界のエラーだと考えます。
ささいなエラーだった。通常より1ビットだけ外れているだけだ。だが、それで充分だった。現実と幻想を区別するには充分だった。
(中略)
そのときタイラーは自分がもう終わりだとわかった。残りの半生、あの法悦感覚を神への愛を、存在の甘さを忘れられずに過ごすのだ。たとえほんの一瞬であっても、タイラーは信じた。リディアといっしょにいたのに次の瞬間見てしまった。そののち、神に不在があった。
その瞬間のことを記憶にずっと留めておくだろう。その記憶を自分に与え、次にその現実感を自分から奪っていったのは1ビットのエラーだとずっと忘れずにいるだろう。
シュガさん「信仰ってやっぱりエラーだと思うんだよね。なんかこのエラーをエラーだと分かりながらも追い求めるタイラーの姿が切実で良かった」
信仰がエラーだというのは今の私たちには分かることです。だって神様なんていないことは科学的に分かっていることだから。
そう私がいうとお姉ちゃんが言いました。
姉「けどさ、あくまでもその人の主観でしかないんだから、神をエラーだと言ってしまうのもあくまでもその人の主観でしょ?」
私「いや。今回の話に限っていえば、神様の存在は科学的に否定されてるから……」
姉「そもそもあなたが科学的に神がいないって言ってるのも信仰じゃない? 科学で神様がいないってなんで決められるのさ」
私「だって信仰は1ビットのエラーだって……」
姉「それはタイラーの主観。タイラーの中では信仰がエラーっていう考え方があったから最後の最後まで信じられなかったんじゃない? だけどエラーによって訪れたアンブリエルの降臨によって信じられたわけじゃん。だからそれは神様の不在の証明にはならないじゃない」
私「エラーだから幻想じゃないの?」
姉「そこ。私たちにとって幻想と考える経験と現実と考える経験。自分の生においてどちらも区別することなく、自分を構成する要素として描いてるんじゃないかな。だから私は「ありのまま」に信仰するリディアも「エラーの信仰」だと考えるタイラーも大きな違いはないという所を書いてると思うのよ」
私「んー。けどやっぱり神様がいないってことをふまえて、そのエラーを信仰しようとする純粋さが面白いと思うんだけど」
姉「だから、神様がいないってのはタイラーの主観なんだってば!」
私「うがー!」
シュガさん「ま、まあ私は『信仰がエラー』だって考え方が面白かっただけだから! 確かに信仰してる人って少し人と違う光景が見えている感じがするから……」
私「それは客観的に見て神がいないってことでしょ!」
姉「だから客観的ってものがそもそも信用足りえるかってことでしょ! 客観的ってなんなのさ」
私「それはみんなが信用してるってことで……」
姉「それが主観なんだってば! 今回の話はエラーだと考えている人の想いも含めて神は救ってくれるっていう話じゃないの?」
シュガさん「……」
シュガさんは私たちの争いをどのような気持ちでみていたのでしょうか。他にとても良い短編がたくさんあったのに、私たちは二時間ほどの読書会の時間を、ほぼこの押し問答に使っていたような気がします。
いま冷静に読書会の時の事を考えて書いていると、お姉ちゃんの言っていることも分かります。
この短篇に収められている「円弧」という小説。(私が一番面白いと感じた小説です)
主人公のリーナはある事情で人類最初の不老不死になるのですが、自分の意志でその不老不死を捨てます。世界は不老不死が当たり前になった世の中でリーナの娘のキャシーは母親をこう諭します。
「じゃあ、いままで生きてきたなかで最年長の女性は、永遠に生きるチャンスを得た最初の女性は、それを諦める最初の人間にもなるのね」
「あなたに死んでほしくない。死が生に意味を与えるというのは神話だわ」
しかしリーナはこう答えるのです。
「もしそれが神話なら、それはわたしが信じている神話なの」
私たちの生は現実であろうと幻想であろうと(……そもそもこの区別が良くないのですかね)「私」が信じることを肯定的に認めた時に、自分の生に豊かさを与えてくれるのかもしれません。
が、読書会の時は「SF小説だから神はいないという前提で書かれているに違いない」という強固な主観で喋っていたのだと思います。
……「もののあはれ」とはほど遠い言い争いであったような気がしてなりません。