映画鑑賞 「夜明け告げるルーのうた」(※ネタバレあり)
友人と一緒に「夜明け告げるルーのうた」を見てきました。
映画館で映画を見るときって、あんまり泣きたくないんですよね。大勢の中で鼻をすすったりすると恥ずかしくて、かといって鼻水垂れ流しにすると気になるし・・・。
だからねむようこさんのポップで素敵な絵と、楽しそうなアニメーションの動きと音楽で評判だった「夜明け告げるルーのうた」を軽い気持ちで見に行きました。
結果
大号泣
(以下、大号泣したものによるネタバレ感想)
私は想像することやファンタジーを心に持つことで、自分が保たれていくと思っています。
確かに現実は迫ってくるし、考えなければいけないこともありますが、いっぱいいっぱいになった時に自分を支えてくれるのはファンタジーなんじゃないかなと。
そう考えるようになったのは、文芸評論家で震災の怪談話を集めている運動に協力している東雅夫さんのお話を聞いてからです。
「怪談は現実的にはありえない。ただそういう話が人を立ちなおせることもある」
震災で父親を無くし、元気を無くして引きこもっていた少年が、現実にはありえない経験を通して亡くなった父親と再会し、元気を取り戻す。
そのような話を聞いたあと、このように考えるようになりました。
科学的に非現実的な想像やファンタジーでも人を支えることもあるのだと。
「夜明け告げるルーのうた」には人魚というファンタジーが登場します。
さらにこの人魚たちにはもうひとつのファンタジーがあります。
人間が人魚に噛まれたら、人魚になってしまうのです。
しかし人魚はやみくもに人間を噛むわけではありません。
溺れて死にそうになった人間を噛むことで、人魚にして助けるのです。
人魚たちが劇中ではコミカルな動きや音楽と共に楽しそうに生きている姿が描かれています。(途中、人魚は悪いものだと勘違いした人間とのいざこざもありますが)
ラストシーンで、主人公の住む町が水害に襲われます。どんどん水面が上昇し、家や人や町が飲み込まれていきます。
その映像を見ていると、震災のことを思い出さずにはいられませんでした。
何回も流れた津波の映像。繰り返し流れる同じ映像に「だれか助けてよ」と何度も何度も思いました。その時の気持ちがフラッシュバックするのです。
しかし、その時にみんなを助けてくれたのが人魚たちでした。
人魚は日の光を浴びると、消滅してしまう。それでも頑張って人間たちを救っていく。
この映画ではみんなが人魚に助けられている。何だか泣けてくるのです。
その中で、自分の大事な人が人魚に噛まれて失った、と思っていた老人たちが人魚になった大事な人と再会します。
みんなちゃんと人魚になって生きていたのです。その後、大事な人に噛まれ人魚となって二人で海へ還っていきます。
ここだけ不思議で、何で老人二人だけは人魚になる道を選んだのだろう?
そう友人に投げかけると
「年を取りすぎてたからなのかな。大事な人のいる海に還る選択肢ができるくらいの年齢になっていたというか・・・」
と答えてくれました。(腑には落ちてマセン)
人魚のルーは可愛くて、少しとぼけたキャラクターがわきを支えて楽しい映画でした。ただあのラストシーン、みんなが一生懸命協力して人を救うシーンはあの時を想起せずにはいられなかったし、このファンタジーはアニメーションでしか描けない寄り添い方だと感じました。