第一回 「人間嫌い」のルール 著:中島義道(PHP新書)
参加者:私、お姉ちゃん、シュガさん
(たぶん毎回この三人しかいません笑)
みなさんは人間が嫌いですか?
自分と同じ生き物を嫌うって結構すごいことですよね。
けどそんな「人間嫌い」さんはいるのです。
それがこの著者、中島義道さんです。
「しま子ちゃんも人間嫌いでしょ?」
そんなことを言いながらシュガさんはこれを今回の読書会の本にしました。
とても失礼です。人付き合いが苦手で友人が少ないだけで、別に人が嫌いなわけではありません。
ただ中島さんの言葉に納得できるところもありました。
「親切の押し売りに潜む暴力」という言葉です。
親切が良い事だと思っている人は、それが否定されるときに理不尽さに怒ります。
けどそこに相手の気持ちはないので、一種の暴力です。
なのでお姉ちゃんは自分が美味しいと思うからって、私に何でも勧めるのはやめてください。(嫌いじゃないよ!)
他にも人間は同調圧力という「暴力」を使います。
みんなが「そうだ」と思ったことに違和感を覚えると、その気持ちはすぐさま否定されてしまいます。
学校生活でも「運動会」に対してのやる気がない「私」は(運動は苦手です)クラスの一致団結ぶりに少し疎外感を覚えます。やる気のなさを伝えてしまえばどうなるか・・・恐ろしくて考えたくありません。
ただこの中島さん。この色々な暴力に対して相当恨みがたまってたのか、結構発言が過激です。
人間嫌いルールというのを掲げ、ルール第8には「非人間嫌いは死んだものとして扱え」と言っています。ある意味でこれも一種の暴力じゃないのかな、と私は思ってしまいます。
だから私は少しこの考え方は理解できませんでした。
しかしシュガさんが言います。
「人の生きづらさは理解されないこと、共感されないこと。この人にもし共感できないなら、放っておきなさい。自分が理解できない人間と出会ったら自分の尺度で人を図らずに放っておきなさい」
無視することは暴力的なこと、何て言われたりします。しかし私も個人であり他人も個人であります。
もし相手が理解できないのであれば、自分の考えを押し付けるのではなく、無視する方がむしろ暴力的じゃないのかな、なんて考えました。
それでもあまり納得できない私にお姉ちゃんは言いました。
「単純に「そういう人」がいるということを理解してあげなさい。そこに理由なんてないの。そういう人もいるんだってことをちゃんと認識することが一番大事」
それでもあまり私は納得できません。子供が虐待されていたら、そういう人もいるなんて理解して我慢することなんて・・・。けど私もまた我慢する必要がなくてそういう気持ちがあってもいいわけで・・・。けどその考えは私の押しつけ?
私にとっては少し難しい本でした。ただ「そういう人もいるという理解」という言葉には、はっとしました。
自分の尺度で「なんでこう考えないんだろう」って人もたくさん世の中にはいます。ただ「そういう人もいる」という理解をしてから人と関わると、少し気持ちが楽なのかな、なんて思いました。
次回は鷲田 清一さんの『「聴く」ことの力―臨床哲学試論』です。